【私の章】私の自家用車遍歴(1台目を購入するまで編)

私は、20歳で自動車の運転免許を取得しました。

京都の自動車学校に通いました。(筆記試験は隣接県で受けました)

 

住んでいた場所から通える範囲には、二つの自動車教習所がありました。

あくまでも噂でしたが、一方は免許は取り易いけどそこの卒業生は事故率が高いと

言われていました。もう一方は、厳しいけど事故率はもう一方ほど高くないと言われていました。

 

私は、迷わず厳しいけど事故率の低い方に通いました。

その方が、免許を取ってから苦労しないのではと考えたからです。

自動車の運転技術と運動神経とは、何ら関係ないと思いますが、運動神経があまり良くない私は、教習で3回補習を受け、卒検で1回落ちています。

 

教習所の実技では、教官からかなり厳しい指摘があり、自分には運転は向いていないとめげることが度々ありました。

 

その頃に流行っていた歌が、松田聖子の『夏の扉』でした。

還暦を過ぎた今でも、この曲を聴くと当時を思い出し、ブルーな気持ちになります。

(曲自体は、明るい軽快な曲なので、当時はこの曲に励まされた記憶があります)

 

筆記試験は、1回で合格です。(当たり前ですかね)

 

それから、大阪の会社に就職しましたが、都市部では自動車は必要なくしばらくはペーパードライバーでした。

 

20代後半には、ゴルフをやり始めました。周りにはゴルフ好きが多く、車が無い私でも誰かが送り迎えをしてくれました。

その後、関連の病院に駐在勤務することになりました。

病院は、比較的マイペースな人が多く、平日に休みを取ってゴルフに誘ってもらうことが増えました。(今のコロナ禍での総合病院の状況では、想像もつかないと思います)

 

病院の方々は、とても人が良くて、住んでいる方向が違う私の家にも、寄り道をして送り迎えをしていただきました。それも、かなり年上の役職のある方でもでした。

そういうことが続くと、流石に申し訳なく思い、自分の車を持ちたいなと思っていました。

 

そんな時に、会社の同期が車を買い替えることになり、私に車を安く譲ってもらうという話になりました。

私は、その気になっていたところ、同期が「高く下取りしてくれたので、譲る話は無かったことに」と言われてしまいました。

自家用車を所有する気になっていた私は、悶々とし、じゃ自分で車を買おうということにしました。

 

当時は(今もですかね)、日産、トヨタ、ホンダの車が人気で、私が買える車種は見つかりませんでした。なので、その他のメーカーで探していました。

ほぼ絞り込んだ頃に、かの同期に「この車を買うつもり」と話したところ、「それは止めた方が良い。自分が知っている自動車販売店があるから紹介してやる」ということになり、同期の幼馴染の人が社長(2代目)をやっている会社から購入しました。

 

いろいろなメーカーの車を扱っている会社でしたが、私に勧められたのは『三菱のランサー・フィオーレ アレックス』という車でした。

<ランサーフィオーレ アレックスの仕様>

・メーカー: 三菱自動車

・排気量: 1,500cc

・色: 白とグレーのツートン

・特徴: 4ドアセダン、オートマチック、パワーステアリング

     運転席と助手席のみパワーウンドウ

・車両本体価格: 記憶が定かではありませんが、100万か120万だったと思います

カタログ(表紙)

カタログ(見開き)

カタログ(最終ページ)

初めての車としては、小型で取り回しも良く、自分には合っていたと思います。

この車をスタートに、私の愛車遍歴が始まりました。

<次に続く>